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ある休日の出来事
今日は、全くリーガルな要素のないお話を。
先週末、お天気がよかったので、子どもとぶらぶらお散歩をしていました。
車道と歩道の区別がされていないような細い道に通りかかったとき、対向して歩いてくる男性の姿が見えたので、横に並んで歩いていた私たちは、その男性とすれ違うために、前後縦に一列になりました。
私は、男性とすれ違いざまに、何気なくその男性を見たのですが、その瞬間、心臓がちょっと変な動きをしたのです。
その瞬間は、その理由がわかりませんでした。
でも、すれ違ってほんの少ししてから、パッとある光景が浮かびました。
それは、もう20年近くも前の検察官時代のこと。
思い出したのは、担当する事件を起訴するための決裁を仰ぐべく、上司の執務室に行くときの、緊張がピークに達するあの瞬間。
そして、「失礼いたします!刑事部検事高橋麻理です!〇日勾留満期の〇〇事件について起訴決裁をいただきたくまいりました!」と自分を鼓舞するように大きな声で言って執務室入口に立ち、「うむ」という上司のお声がかかるや、大股で上司の机の前まで近づき、事件説明をするあの胃が痛むような時間。
そのころ味わった胸の動悸と今まさに味わった胸の動悸がすっとつながりました。
「今の男性、検事正だ…」
私は、たった今すれ違った男性は、20年近く前、私が当時勤務していた検察庁で検事正をされていたかたではないかと思いました。
ただ、最後にお会いしたのは20年近く前のこと。
しかも、私がお仕えしたのはたったの1年間。
正直、確信はもてませんでした。
でも、気づいたら、私は、すれ違った男性の方に向かって走っていました。
私は、その男性に、「もし間違っていましたら大変申し訳ありません。」と話しかけました。
その瞬間、その男性が「え?高橋麻理さん!?」とおっしゃったのです。
私は、「やっぱり検事正ですよね!ああどうしよう、うれしい。ああどうしよう・・・」と大興奮してしまいました。
後から追いかけてきた子どもも、いったい何が起きたのかと戸惑っている様子。
そのまま、その場でいろいろお話をさせていただきました。
その時間は私にとって「感激」「感動」そんな言葉で表現することなんてできないほどの涙が出るような大事な時間になりました。
私がこの検事正から教えていただいたことが2つあります。
1つ目は、人の刑事処分を決するとはどういうことかということ。
検察庁では、事件を起訴するとき、不起訴にするとき、勾留延長請求をするときなどに、担当検察官が、上司の決裁を仰ぎます。
そして、私が検察官をしていたころは、決裁の際は簡単なペーパーを作り、そこに、事件の概要、証拠関係、事実認定上の問題点とそれに対する検討結果、求刑の根拠等を簡潔に記載し、それをもとに決裁官に口頭説明をしていました。
ひととおり説明をすると、決裁官が、「ここはどうなってるんだ?」「起訴は難しいのではないか?」「この事実を支える証拠が足りないから、こんな証拠を獲得する必要があるだろう」などと指摘し、それについて、自分なりの考えを述べます。
このような決裁の機会に、この検事正は、私に、たとえば「なあ、この被疑者、犯行時は〇〇で薬物を使ったというけど、ふだんは家でも薬物を使っていたのか?使っていたのだとすると、それは、家のどの部屋で使っていたのか?家の間取りはどうなっているか確認したか?薬物を使っていた部屋の隣は誰の部屋だったんだ?」などと質問をしてくることがありました。
私は、そんな質問をされると、内心、「いやいや…シンプルな薬物使用の事案でしょう。犯行場所は特定されていて、尿から薬物が出ているわけで、本人も自白しているんだから、公訴事実認定に何も支障ないでしょう。ふだんは被疑者が家のどこで薬物使っていたかなんてどうでもいいじゃん。ましてや間取りとか関係ないし。そんなこと調べてる暇ないし」と思いつつ、そこに反論している時間もなかったし、何より厳しい上司にたてつく勇気などなかったので「そこまで調べていませんでしたので出直します」と言って引き下がり、改めて指摘された点を調べ直して改めて決裁を仰ぐ、ということをしていました。
何度かそんなことを繰り返していると、私も、「決裁であれこれ指摘されるのはおもしろくないから、最初から検事正に質問されそうなことを細かく完璧に調べておくか」と思うようになり、ただただ決裁対策として、事件の細部まで目を光らせて、被疑者の取調べを行ったり、その裏付けをとったり、現場に赴いたりするようになりました。
でも、そのうち、自分の中に変化を感じるようになりました。
それは、私がひとつひとつの事件を捜査するにあたって、まず、自分があたかも被疑者に乗り移ったかのような気持ちになり、被疑者の目で周りを見たり、被疑者の頭でものを考えたりしているような感覚になったということでした。
たとえば、被疑者が、「その日、私は、〇時ころ、〇〇に行きました」と供述すれば、自分が、その時刻にその場所に立ったとき、何が見えるか、どんなにおいを感じるかを想像し、想像できなければ、その場所に行って実際に確かめてみたり、「〇〇をしました」と供述すれば、その状況で〇〇をしたとしたら、いったいどんな感情が湧いてくるのか、次にどんな行動を起こしたくなるか、と感じようとしたりする自分に気付くようになりました。
それにより、取調べにおける追及が深いところまでできるようになったり、必要な裏付け捜査の判断がしやすくなったりしたのです。
うまく言語化することができないのですが、今、私は、当時の検事正からのいろいろな角度からの質問は、すべてが「君は、一人の人間の刑事処分を決めるという検察官の役割の重さを十分に認識できているか?」という問いかけだったのだと思っています。
ひとりの人間の刑事処分を決める前提として、目の前の相手のことをどこまで本気で知ろうとしたかという問いかけだったのだと思っています。
その問いかけは、弁護士となった今、「私は、自分を頼ってくださる依頼者の人生に関わる責任を十分に認識しているか」という問いかけに形を変えて日々の仕事を支えてくれているように思います。
2つ目は、人の優しさ、温かさについて。
私は、人の優しさ、人を思う心のようなものをいまいち信用できません。
そんなもの、すべて偽りで、真の意味では存在しないんじゃないかと思ってしまうことがあります。
これは、きっと、私自身が、人に対して優しい気持ちになったり、温かい気持ちをもてたりできていないというもどかしさを感じているからこそ。
自分が他人を思う気持ちを少し引いたところから見ると、すべてが薄っぺらい表面的なものに感じられてしまい、どうせ周りの人もそんなもんだろうと思えてしまうのです。
でも、先週末、検事正とお会いして、この点についてちょっとだけヒントを得られた気がしました。
目の前の相手に興味をもち、相手の立場で想像するということ。そして、関わった人を自分の心に留め、大事に心に存在させておくこと。
これが人の優しさや温かさなのかもしれないなと思えたのです。
検事正にはこれまで数えきれない人数の部下がいらしたのだから、20年近くも前、たった1年間だけお仕えした私のことなど忘れてしまっているのが普通なのだと思います。
しかも、私が特別に優秀で検事正の記憶に残るような大活躍をした検察官だったならまだしも、私は、そんなできた検察官などでは到底なく、不器用で、体力もなく、無理をしては救急車で搬送されてしまうような冴えない未熟極まりない若手検察官。
それなのに、検事正は、先週末お会いしたとき、私が名乗る前に私の顔を見てすぐに私の名前を思い出してくださり、「君があの検察庁にいたのは、平成〇年のころだったよなあ」とか「そういや、あのころ、こんな勉強会を開催してみんなで取り組んでいたよなあ」とか「君が修習生の指導をしていたころ、〇〇って子を検察官にしたいって言ってがんばっていたよなあ」とかそんなことまでおっしゃってくださったのです。
そういえば、私が検察官を辞めることにし、その報告をした際も、検事正は、長い長い手書きのお手紙をくださり、それを読み、私は涙を流したのだったな。
「去年、君、何かの講演をしたよね?ネットで見つけて申し込みをしようと思ったのだけど、うまくできなくて聴けなかったんだ」とまでおっしゃってくださった検事正のお言葉をかみしめているうちに、私は、検事正の温かさを心の奥でとても確かなものとしてしみじみと感じました。
日々出会うひとりひとりと真剣に向き合い、相手を知ろうとすること、そして、ご縁があって関わったかたを常に心に留め、忘れずに、心に留めておく努力をすること。
私は、そんな努力をすることが人を思う優しさ、温かさとして相手に伝わるんじゃないかと思いました。
もし、お昼にカレーライスを食べ過ぎて、「今日は、電車一駅分を歩こう!」と決断していなかったら、あの道を歩くことはなかった。
もし、子どもが、咲き始めた道端のつつじの花の美しさに目を奪われて、その場にしばらくしゃがみ込み、写真撮影している時間がなかったら、あの道を通りかかるのがもう少し早くなってしまっていた。
そんないくつかの「もし~だったら」をくぐり抜けてあの瞬間あの道を通ることができたこと、それによって昔の上司とばったり遭遇できた奇跡。
本当に幸せな出来事でした。
検事正とお別れした後、私は、子どもに、「急にごめんね。でも本当に嬉しかった。とんでもなく嬉しかった」などと興奮気味に言っていたら、子どもから「私もよかった。ママが急に後ろを振り向いて走って行ったから、もしかして、ママが、すれ違った人に肩でもぶつけられて、それに怒って、追いかけて文句つけにいったのかと思ってハラハラしていたの。そうじゃなくてほっとした」と言われました。
私は、まだまだ子どもにそんな心配をかけてしまうような本当に未熟な母ですが、嬉しい出来事を胸に、また一歩一歩がんばっていきたいなと思います。
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