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だれが言っていることが本当なのか?
最近、「性加害・性被害」をめぐる週刊誌等報道が過熱しているのを感じます。
そして、報道があると、即座にその記事を引用するなどしたSNS投稿が繰り広げられ、いろいろな立場で発信されているようです。
性加害・性被害をめぐる報道が過熱する要因のひとつとして、言い分の異なる立場からの主張が繰り広げられる点にあると思います。
性加害・性被害に関しては、周囲から見えにくい場所で行われ、そこに客観的、公正な立場に立つ第三者による目撃情報が寄せられにくいという特徴があります。
だからこそ、両当事者がどのように供述しているかという点が重要にならざるを得ず、「だれがどのように言っているか」という点が断片的に切り取られ、報じられているように見えます。
このような状況になると、決まって「いったい何が本当なのか?」「どちらがうそをついているのか?」と言ったつぶやきが聞こえてきます。
そもそも、両者の話を聴いた捜査機関や裁判所が、そのいずれが本当なのかということを正しく評価できるのかと疑わしく感じられるかたもいるのではないかと思います。
供述の信用性というものは、いろいろな側面から評価されるのが通常です。
ここでその信用性評価基準を正確に漏れなく挙げることなどはできないと思いますが、私が、検事時代から大切にしていた点を3つ取り上げてみたいと思います。
1つ目は、客観的証拠との整合性です。
たとえば、「私は、昨日午前3時ころ、加害者Aと、Bホテルに行きました。その時点で、私はすでに酒に酔って一人で歩ける状態ではなく、Aに無理やりかつがれるような状態で連れていかれました」などという被害者の供述があったとします。
この供述をもとに、警察官がホテルに設置された防犯カメラの映像を確認したところ、その時刻ころ、被害者がAと手をつなぎ、何か話をしながら歩いている様子が撮影されており、その足元はふらつくどころか、確かな歩調で、途中、ホテル内に設置された自動販売機でお茶を買う様子もうかがわれたのです(説明のための完全な作り話です)。
そうすると、被害者の供述は、被害に遭ったとされるホテルに入った時点で、被害者がどのような意識状態にあったかという重要な点において防犯カメラ映像と矛盾する点があり、信用性に疑いが生じ得るといえるでしょう。
もっとも、それでは、供述のどこかが客観的証拠と不一致であれば、その供述は常に全体として信用できないものとなるか、というと、そういうことではないと思います。
人の記憶というものは、一般的に、時間の経過で薄れてしまったり、他の出来事と混同してしまうなどの勘違いが起きてしまったりして、不正確なものになってしまうことも。
また、大事な部分においては嘘が混じっていないけれども、うしろめたさや自己保身の気持ちから、核心とは違うところでちょっとした嘘をついてしまうということもあると思います。
ですから、供述が客観的事実と一致しない部分があったとしても、その不一致となった事情について納得できる理由があり、供述の重要部分において信用性を疑わせるような要素とならない場合には、その不一致だけで信用性が低いと評価されることはないといえるでしょう。
思いがけず長くなってしまったので、他の要素についてはまたの機会にとりあげてみたいと思います。
人の話をどう評価するかという点は、刑事事件に限らず、いろいろな場面で問題になることがあります。
企業内で起きる不正調査の場面で行われるヒアリングの場面、学校で起きた子ども同士のトラブルに関し子どもから話を聴く場面、怪しい行動をとるパートナーからその弁明を聴かされる場面など、人の話の信用性をどう評価するかという問題に、私たちは、実は、いろいろな場面で直面していると思います。
人の話を評価する大前提として、「自分は、相手の話を、偏見をもたずに公正に聴き取れているか。信用性を判断するのに十分な要素をあますところなく聴き取れているか」という視点も大事になってきますよね。
そんな話もまたの機会に取り上げてみたいと思います。
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