リーガルエッセイ
公開 2022.07.08

列車の非常停止ボタンを押す行為が法的に問題になりうる場合とは?

列車の非常停止ボタンを押す行為が法的に問題になりうる場合とは?
記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、刑事分野の責任者として指導にあたる。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
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例の動画を見て

昨日、子どもからある動画を見せられました。
子どもが大好きなTikTokにあがっていた動画とのこと。
今、話題になっているある駅での駅員の方と乗客の方のやりとりが撮影された動画でした。

子どもから、「これ、どう思う?駅員さん、こんなに怒らなくてもいいのに。だって、物が落ちちゃったら拾ってくださいってお願いするのは当たり前なんじゃないの?なんで怒られてるの?」と聞かれました。

私は、「たしかに、物が落ちてしまったら、駅員さんに相談すべきだよね。自分で拾いに行ったりしたら絶対にだめ。でも、駅員さんに相談しなくちゃいけないことと、非常停止ボタンを押すこととは別問題でしょう?ボタンを押すこと自体がどうなのかは別途考えなくてはいけないし、あと、この動画は、起きた出来事の一部を撮影したものであるはず。最初から最後まですべてが撮影されているわけじゃないから、この切り取られた一部分だけを見てどちらがどうなどと評価すると、公正な評価にならない気がする」と答えました。

いろいろな意見が出るところだとは思いますが、私は、あの切り取られた動画だけを見て、それに対する感想を述べることは難しいなと思うのです。

ですから、あの投稿された動画に登場している駅員さんと乗客の方の対応について具体的なコメントはできません。

ここでは、あの動画を少し離れ、一般論として、非常停止ボタンを押す行為が法的に問題になりうるかということをお話ししてみたいと思います。

そもそも、非常停止ボタンは、どんなときに押されるべきものなのか。
国土交通省の「鉄道の安全利用に関する手引き」が参考になるかもしれません。
これによると、列車非常停止装置を使用すべき場合として「プラットホームから線路内に転落した人を見たときなど、急いで列車を停止させる必要があるとき」とされています。
また、「列車非常停止装置は急いで列車を停止させる必要があるときに使うものなので、駅係員に連絡したいときなどは、連絡装置(インターホン)を使用しましょう」などとも書かれています。

この記載を元に考えると、非常停止ボタンを押すべき時に急いで電車を停止させる必要がある場合とは、線路内に人が転落してしまったとか、線路内に落ちた物が大きく、それと電車が接触することにより電車内の乗客に対して危険が及ぶ可能性がある場合など、おおよそ人の身体に危険が迫っていると評価できる場合を指すのだと思うのです。

スマホや財布を落とした場合など、その落とし主の物が電車にひかれて壊れたり傷ついたりすることを防ぐため、という目的はここに含まれないのだと考えます。

そのような、本来ボタンを押すべき非常の場合でないのにボタンを押した場合どうなるか。

まず、威力業務妨害罪が成立する可能性があると考えます。
もちろん、犯罪の成立には故意が必要になるため、本当ならこのボタンを押すような場合ではなく、押した場合は、自分の都合で電車を止めることになり、駅関係者、乗客らに迷惑をかけることを知りながらそれでもかまわないという内心が必要になるでしょう。

また、このような行為により、電車が大幅に遅れ、それにより、駅関係者がその対応に要した人件費、振り替え輸送費などの損害が発生すれば、その損害についての損害賠償請求もあり得るものだと考えます。

非常停止ボタンは、人の命を救うためのもの。
それが本来必要な場合に押されることで人の命が救われるのであれば、それによって目的地への到着が遅れたとしても仕方ないと思うし、「よかった」と思えます。
ですから、本当に必要な場面では、何も考えずに、躊躇なく押すことが大事だと考えます。

ただ、その行為が必ずしも本来のボタン設置の趣旨とは一致せず、必ずしも人の身体へ危険につながらない場合には、ひとまずインターホンにより駅員さんに相談してみるのがよいでしょう。

あとは、この動画を見て思ったこと。
今は、一歩外に出れば、人とのやりとりが録画され、その社会的影響力によってはその動画が広く拡散され得る時代だということ。
見られてしまう可能性があるから気を付ける、ということではないのです。
でも、やはり、どんな小さなやりとりであっても、だれにいつ見られても後ろめたいことのない誠実で丁寧な対応に努めなければならないなと感じます。
職業人として、その言動には常に緊張感をもっていたいなと思います。

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