世界中を襲ったパンデミックにより、感染者数、死者数はうなぎのぼりに増加し、未曾有の経済不況をももたらした。
コロナ禍収束の兆しが見えない2020年に政権を率いて未曾有の国難に挑んだのは、菅 義偉第99代内閣総理大臣。
誰も経験したことのない世界的な混乱の中、どのような思いで政権の舵取りを行っていたのか。お話を伺った。
取材/元榮太一郎(本誌発行人) Taichiro Motoe・山口和史(本誌編集長) Kazushi Yamaguchi文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/品田裕美 Hiromi Shinada
まさに「総力戦」。国を挙げて取り組んだワクチン接種
- 「中国・武漢 原因不明の肺炎 患者50人超、香港でも症状」(2020年1月8日「朝日新聞」)。中面の極めて小さな扱いだった。
当時、国内の誰もが海外で奇妙な感染症が流行し始めているようだと、他人事のように捉えていた。
小さな火種だったこの感染症は爆発的に世界中へと拡散し、パンデミックを引き起こす。感染者数、死者数はうなぎのぼりに増加し、未曾有の経済不況をももたらした。
国内の感染収束に向けて陣頭指揮を執っていた安倍元総理だったが、持病の潰瘍性大腸炎が再発。2020年9月16日午前の閣議において、安倍内閣は総辞職した。
この出来事が、菅氏を想像だにしていなかった未来へといざなっていく。
菅 義偉氏(以下 菅氏):もともと自分は総理総裁を目指して政治をやっていませんでした。
田舎から出てきて地方議員をやり、国会議員に初当選したのは48歳で、大臣を務めたのも一度だけという感じでしたから。
だけど、当選4回目で総務大臣にしてもらって、ふるさと納税を作れたんですよね。目標を持ってことに当たればなんでもできるんだなという思いで政治に取り組んでいたのですが、総理大臣になるということはぜんぜん考えていませんでした。
- 本人の思いとは裏腹に、菅氏の総理就任のムードが高まっていく。その動きはもはや菅氏ひとりでは抗えないほど大きくなっていった。
菅氏:2020年の夏、あのとき一番の課題はなんといっても新型コロナですよね。
私は武漢からの邦人救出作戦の陣頭指揮や感染者が発生して横浜港で停泊していたクルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』の接岸対応などもやっていましたから、これはもう逃げられないのかなと思って総裁選に出ることにしました。
- 2020年9月14日、両院議員総会による自由民主党総裁選挙が行われ、菅氏は他候補に大差をつけて選出された。
世襲ではない自民党総裁としては森喜朗氏以来。選挙地盤を世襲していない自民党総裁としては海部俊樹氏以来という、まさに叩き上げの総裁が誕生した瞬間だった。
第99代内閣総理大臣に就任した菅氏は、コロナ禍収束のために次々と手を打っていく。
菅氏:総理になるとき、とにかく理屈の通らないことはやらないほうがいいと思っていたんです。というのは、2020年の4月〜6月期に、GDPが約30%も下がったんです。当時、全国で緊急事態宣言を続けていました。こんなことが続いたら国がおかしくなってしまうという危機感を強く持っていました。
- 菅氏は海外のコロナ対策事情について徹底的に調査を進めた。ロックダウンをする国、さらに外出した者には罰金を科す国、さまざまあった。各国のコロナ対策が根本的な解決策となっていないと判明したなかで、ひとつ希望の光が見えた。ワクチンだった。
絶対にコロナ禍を終わらせるんだと考えたとき、重要なのはワクチンだった
菅氏:絶対にコロナ禍を終わらせるんだと考えたとき、重要なのはワクチンだと思ったんです。それまでどの国でもロックダウンをしても外出禁止令を出してもダメだったんですよね。アメリカ、イギリス、イスラエルなど、当時、改善の兆しが見えていた国の施策を見ると、ワクチン接種率が国民の4割前後に達したあたりから感染者数が下がっていた。そこで、ワクチンで勝負しようと決めたんです。
- とはいえ当時、新型コロナワクチンは世界各国で奪い合い。日本国内にどれだけのワクチンを輸入できるか見通せない状況下にあった。
菅氏:2021年4月に初めて訪米した際、ファイザー社のCEOと直接電話をして5000万回分のワクチンを確保しました。そして帰国してから『1日100万回』を宣言することになります。