裁判官を目指した青年時代。母親の一言で大蔵省へ
― 若き日に下した決断が後の人生に大きな影響を与えることがある。もしもあのときこうしていたら、どんな未来が待っていただろうかと誰しも考えたことがあるだろう。
ときにその決断が一国の歴史を変えてしまうことがある。本稿の主人公がもしも違った道を歩んでいたら、2024年の日本はどのような国になっていたのだろうか。
黒田 東彦 氏 (以下 黒田氏): 裁判官になりたかったんですよね。大学では法学部に通いました。本当は数学や物理が好きだったのですが、自信がなくて東大の文一を受けたんです。私は碧海純一先生というカール・ポッパーの哲学に基づいて法哲学を展開していた先生のゼミにも出て勉強しました。
裁判官になろうと思って勉強して、司法試験にも合格しました。でも、いつも何も言わない母親が『お前に人が裁けるのか?』と言うんですよね(笑)。よくよく考えてみたら『死刑判決は書けない』と。いつもなにも言わない母親からそんなことを言われてたしかに裁判官にはなれないと思って、大蔵省に入ったんですね。