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公開 2022.11.09 更新 2022.11.11

国の未来を背負ったリーダーの「覚悟」と「思い」
第99代内閣総理大臣 衆議院議員 菅 義偉氏インタビュー(前編)

菅義偉氏インタビュー

世界中を襲ったパンデミックは今もなお生活に、経済に大きな傷跡を残している。
コロナ禍収束の兆しが見えない2020年に政権を率いて未曾有の国難に挑んだ男がいる。

菅 義偉第99代内閣総理大臣。

わずか1年の任期の中、コロナ対応、東京オリンピック開催、携帯電話の料金値下げ、不妊治療の保険適用、カーボンニュートラル政策、デジタル庁創設と、国の根幹をなす政策を次々と打ち立てた。
誰も経験したことのない世界的な混乱の中、どのような思いで政権の舵取りを行っていたのか。
盟友として長い時間を過ごした安倍晋三元総理への想いなど、お話を伺った。

取材/元榮太一郎(本誌発行人) Taichiro Motoe・山口和史(本誌編集長) Kazushi Yamaguchi文/山口和史 Kazushi Yamaguchi 写真/品田裕美 Hiromi Shinada

新卒で入ってきた秘書が『総理大臣といえば安倍さんだ』と言うんですよね

菅 義偉氏(以下 菅氏):安倍晋三元総理が亡くなられて、7月12日に増上寺(東京都港区)で葬儀告別式が営まれました。
葬儀が終わったあと、昭恵夫人がご挨拶に来られたときに『もしなにかありましたら、菅さんにお願いしたいと思います』と頼まれていたんです。

- 9月27日、日本武道館で営まれた安倍元総理の国葬儀で、菅氏が読んだ弔辞は多くの国民の心を揺り動かした。それまで国葬儀に批判的な論調だったテレビや新聞といったマスコミはもちろん、SNSでも「感動した」といった投稿が多く見られた。

安倍元総理の机の上にあった読みかけの本と弔辞で触れられた岡義武著「山県有朋」は、国葬儀の後に爆発的な売れ行きを見せ、大手通販サイトでは国葬儀から数週間が経った後でも売り切れが続いている。

菅氏:安倍さんの部屋には国葬儀の前の週に2回行ったんですよね。一度行ったとき、あんなに整然としているとは思わなかったんです。
まだ生前の様子が残っていたので、それだったらというのでもう一度足を運んだんです。最後に記念写真を個人的に残しておきたかったものですから。
官房長官時代も私と総理との二人で写真を撮ることはありませんでしたのでね。

- 国葬儀には多くの若者が参列したことも話題になった。千代田区の九段坂公園に設置された献花台に花を手向けるために長蛇の列ができ、最後尾は四ツ谷駅にまで及んでいる。その距離実に2キロ。献花まで最長3時間半もの時間を要するほどの列となった。

菅氏:追悼の辞で『若い人が多いようです』と申し上げましたが、実際に見ているわけではないので、あそこは私にとっても勝負でした。

安倍政権は若い人たちに向けて政治を行ってきました。若年層にお金を移そうとしたこともそうですし、『70年談話』(2015年8月14日発表)でも、今まで日本は悪い国だということばかり言っていたのを断ち切って、現役世代に累が及ばないようにしたり。そういった想いが届いたのではないかと思います。

私の事務所に新卒で入ってきた秘書が『総理大臣といえば安倍さんだ』と言うんですよね。8年も総理を務めてこられましたから。亡くなるのが早すぎましたよね、残念です。
菅義偉氏インタビュー

銀座の焼き鳥屋での「3時間の説得」の裏側

- 菅氏が安倍元総理と深く結びつくようになったのは、2006年、安倍元総理一度目の総裁選出馬のときからだという。

菅氏:議員連盟を作って人を集めてほしいと頼まれて、なぜ私なんだろうなと思ったんですよね。当時、派閥の順番から言えば違う人が総裁候補になる可能性がありましたから、派閥とは無関係のほうがいいということで私だったんですよね。第一次安倍政権では教育基本法の改正や、防衛庁から防衛省への移行など、国家の根幹に関わる政策を実現させました。

ですが、残念ながら安倍さんが体調を壊して1年で辞めざるを得なくなってしまいました。このときに、私は第二次安倍政権を絶対に作ってやろうと思ったんです。

- 福田康夫内閣、麻生太郎内閣を経て、2009年9月から民主党政権が発足した。脱官僚・政治主導を掲げ、子ども手当、高速道路の無料化などを政権公約にしていた鳩山由紀夫内閣は、国民からの圧倒的な支持を受けて船出をしたものの、公約は達成されないばかりか外交・安全保障の面でも迷走を続け、普天間基地移設問題をきっかけに当時のオバマ米大統領からの信頼も失墜。日米同盟を機能不全へと追い込んでいく。

菅直人政権では東日本大震災が発生。震災対応の不備が祟り、福島原発事故を招く事態となった。
経済、外交、安全保障と、国の根幹が粉々に崩れ去っていく事態を目の当たりにした菅氏は、「もう一度安倍さんを首相に」と動いていく。

菅氏:民主党政権が続いて経済がめちゃくちゃになり、安全保障も日米関係も壊れてしまいました。そういう状況下で、私はようやく出番だなと思ったんです。安倍さんをふたたび総理大臣にしようと。
しかし、本人は第一次政権を短期間で終わらせざるを得なかったことについて、どうしても負い目がありました。なかなか『うん』とは言わなかったんですよね。

当時、彼は日本の経済再生のための勉強会をやっていました。『その勉強会は実行するために勉強しているんじゃないのか』とガンガン言ったら、最後は『分かった』と言ってくれたんですよね。私の言葉がどうだったというよりも、国の将来を憂いていたからだと思います。経済政策や外交安全保障政策に関して、日本をふたたび甦らせるためには、あの人しかいないと信じていました。

- 国葬儀での弔辞でも触れられていた、焼き鳥屋での説得。この説得が功を奏し、2012年12月26日に第二次安倍政権が誕生する。
菅氏は内閣官房長官として、8年近くもの長きに亘り安倍内閣を支え続けていくことになる。

<後編に続きます>

Profile

菅 義偉氏

秋田県出身。大卒後、市会議員を経て国政に進出。
総務副大臣、総務大臣などを歴任後、第二次安倍政権で内閣官房長官として安倍晋三元総理を支え続ける。
2020年9月に自民党総裁に選出され、第99代内閣総理大臣を務める。
「国民のために働く内閣」を標榜し、そのキャッチフレーズを具現化する政策を次々と実現した。
趣味は渓流釣り、ウォーキング。パンケーキ好きとしても知られる。